はつこい文庫

ゆるいブログです

それは確かに恋だった

 

 

親愛なるアイドルへ

 

 

ご卒業おめでとうございます。本当ならばめいっぱい観客のいる会場で、たくさんの人たちに見送られ、自分の色に染まった会場を見て欲しかったのに、それが叶えられなかったことだけがただただ残念でなりませんが、卒業コンサートを実施することができただけでもわたしは今とても満たされた気持ちになれています。貴女も、そうだといいな。きっとそう感じてくれていると信じています。

 

 

ネット上で、テレビで、貴女のことをたくさんの人が話していた一日でしたね。「愛を与えた分だけ返してくれる人」そう評されている貴女がたくさんの人に見送られ愛されている様子を見ているととても心があたたかくなります。

ライブのことはたくさんの人が色々な場所で話してくれているので、僭越ながらここではわたしと貴女のことについて一方的ですがお話させてください。

 

 

いつか来るこの日のことをわたしは何年も何年も前から考えてきました。まだいてくれるよと周りが話しているときからずっと。加入した瞬間からいつかお別れがくると分かってるとはいえ、あまり考えたくはないですよね。でもわたしは考えなければ自分が持たなかったのです。一期生がどんどん卒業を迎えていくにつれて、わたしも後悔のないように貴女を応援しなければいけないと思い始めました。初めて行った舞台挨拶、初めて行ったコンサート。平成最後のドームは、光に囲まれた貴女の記憶。アイドルをすきになってもう何年も経ちますが、すきになったアイドルの卒業を一緒に迎えるというのは初めてで、どうやったら少しでも後悔のないようにできるか手探り、手探りの数年間だったと思います。どうしてそんなにすきでいられるの?よく聞かれますが、そんなのわたしが教えて欲しいくらいです。ひとめぼれをしたことは事実でよく覚えていますけれど、ここまで心を揺れ動かしたなにかがはっきりと目に見えたことはなく、もどかしさを言葉にするのならば「なんとなく」としか言いようがありませんが、人が心を揺れ動かす理由なんていつだってそんなものなのではないでしょうか。わたしはアイドルをしている貴女に恋をしていました。認識されなくていい、片想いのままが正解な一方的な恋でしたが、わたしはとても満たされていた数年間を過ごせました。笑ってくれたらうれしいし、悲しい思いはしてほしくない。ただただ、しあわせになって欲しいと思っていたし、今でもそう願っています。新しい恋の形をただぎゅっとひとりで胸の中に抱き続けてきました。

 

 

卒業コンサートをやってくれるものだと信じて、どんな風にするのかの想像もずっとずっと、皆さんが想像するよりはるか昔からしていました。「東京ドームで卒業コンサートがしたい」前に雑誌で言っていたことをよく覚えていたから、卒業コンサートは絶対に東京ドームがいいなと思っていました。きっとチケットを応募するときからどきどきして、抽選の発表の日はメールを見る手が震えて。当たったらそれはそれはうれしい思いでいっぱいになるだろうし、落ちたら「わたしのすきな人はこんなにもたくさんの人に愛されているんだ」と痛感したことでしょう。着ていく服についても、度々考えていました。わたしは衣装に似た服を私服で再現する遊びをよくしていたから、この色味だとあの衣装によく似てるなあとか、考えるだけでいい日が迎えられそうな気さえしたのです。ライブの帰り道、夜風に当たりながらライブのことを思い出すのがすきでした。わたしのよく行っていた会場はドームから駅までが少し遠くて、それでもその遠さを愛しく感じることのできるくらい思い出す時間が楽しかったのです。ライブ中メモを取るほど器用ではないので頭の中に書きとめるくらいしかできませんが、ふとした瞬間のあなたの表情、きっと円盤化されないであろう会場でも楽しそうに笑ってくれたこと、MCで話を振られたときのきょとんとした後にマイクを持つ仕草とか、思い出せることはたくさんありました。MCの内容はきっとその日のうちに誰かがネットに上げてくれるでしょうけれど、わたしの感情はわたしのなかにしかないので、それらを思い出しながら夜風に当たって、少しずつ現実に戻って、電車に揺られながら家へと帰る。次第にうすぼんやりとした記憶になっていくから、その瞬間に噛みしめなければいけなくて、でもその儚さがすきでした。ずっとわたしの頭の中に残ってくれない、その手の届かなさごと愛していました。

 

 

貴女の卒業コンサートに元気に行けるようにと、二月に当たったライブに行くことを諦めました。行っていたら、アイドル姿の貴女を見る最後の機会になっていたでしょう。あまり当たらないライブだから随分と悩みましたが、わたしは卒業コンサートを現地で見る気でいたので泣く泣く諦めたのです。あの日、行くことを選択していたらよかったのでしょうか。行っていたら、ドームで笑う貴女をもう一度見れたのでしょうか。ここ数か月間で何度も考えたことです。もう過ぎてしまったことだからどうしようもできませんが、行きたいという感情だけではどうしようもないことに苛まれ、それでも、卒業コンサートを元気な姿で見られてよかったと己を言い聞かせるばかりです。東京ドームからの帰り道、夜風を浴びながら貴女のアイドル時代最後の姿を思い出したかった。通行人の声、車のクラクション、そういったものさえも聞こえないようなぼんやりとした頭で、アイドル白石麻衣に思いを馳せたかった。もしかしたら映画館からの帰りかもしれなかったけれど、それでも冷たい風が現実へと引き戻してくれる最中、貴女のことを思い出して胸を苦しくさせたかった。人生で初めて訪れる東京ドームは、貴女の卒業コンサートがよかった。そう思いだしたらきりがないけれど、このような形になったことで皆が平等な形で卒業コンサートを見ることができたのは、誰にでも平等に愛をくれる貴女らしいライブだったのかなと終わったあと心を落ち着けてからやっと思うことができました。とても神聖なステージだったから、メンバーの間で閉じ込めておくほうがよかったのではないか、とも。

 

 

わたしのかけがえのない女の子になってくれた貴女が、きちんと守られていたことを、大切にされていたことを、さゆりちゃんからのお手紙を聞いて感じました。いつもみんなを、グループを、ファンを、守ってくれていた貴方がちゃんと大事に大事に守られていたことを改めて知れて安心しました。どんなときも愛を返してくれる人が、無償の愛を与えられていて本当によかった。カーテンのなかでする内緒話、嫌なとこまで見せ合って楽になる関係、そんな、普通の女の子がするようなことを貴女としてくれる女の子が傍に寄り添っていてくれてよかった。さゆりちゃんと奈々未さんがまいちゃんの傍にいてくれてよかったなあ、と思いながら聞いていると自然と涙が溢れてきました。わたしのだいすきな人が、誰かにだいすきでいてもらえているというありふれたことかもしれないことが、些細なことが、しあわせなのだと、あの歌のように、感じられたのです。

 

 

貴女はさゆりちゃんのことを太陽のようだと雑誌で話していましたね。わたしはさゆりちゃんが太陽なら、奈々未さんは月で、貴女は空のような人だと思っています。月も太陽も、空がないと存在することができないし、太陽と月は正反対でも、空を通じて繋がっているものです。わたしがとても特別な同い年だと感じていたこの三人のことを、みんなも特別だと思っていたことを、ステージの所々で感じました。それがとてもうれしかった。卒業しても色がグループに残っていくのなら、寂しくないと言われているようでした。

 

 

もし戻れるのなら、何時に戻りたいかな。そんなこともよく考えます。もっと会いに行けばよかったのかな。あの日のライブも、握手会も、もっと無理をしたらよかったのかな。ないものねだりだとしても、次々考えてしまいますね。わたしは、まいちゃんの歌声がすき。卒業コンサートでたくさん聞くことができてうれしかったし、最後なのに、もっと歌ってほしいとさえ思ってしまいました。一期生を大事に大事にしてくれるところがすき。初期から頑張ってきたメンバーを、選抜とかアンダーとかの括りを払いのけて個人をちゃんと見るところがすき。ファンを大事にしてくれるところがすき。わたしと握手してくれた時、一瞬でもきちんと目を見てくれたところが好き。まいちゃん以上のアイドルとは、もう出会いたくないです。すきすぎてどうしようもない感情も、出会わなければよかったと思わせてくれるアイドルも、もう貴女で最期にしたい。

あの夏の歌声、ずっと覚えてるよ。忘れないよ。わたしを、救い出してくれてありがとう。

 

 

貴女が髪を切ってもわたしは伸ばしたまま。前髪を伸ばしてもわたしは昔の前髪のまま。貴女がゲームを楽しんでいるのにわたしはゲームが苦手。それでも貴女のことをこれからもすきで居続けられる自信があります。人はこれを愛と呼ぶのだと思います。

 

 

アイドルをしている貴女に恋をしていました。

これからの貴女の人生を愛しています。

 

貴女のことがだいすきなファンより