チョーカーはサテンリボン

読書記録や思っていることなど、つらつらと書いているブログです。どうぞお気軽にお立ちよりください。

オクラ

私がたまに行くカフェの定食のプレートに乗っているオクラが物凄く美味しくて大好きなので今回はその話をしようと思う。

 

そのカフェはこぢんまりとしたカフェで、静かでシックで居心地がいい。友達と行ったりするのに丁度いい。少し遠いんだけどね。あ、久しぶりに会う友達と話すのには向いていない。なにせ狭いから。隣の人の会話とかすごい聞こえてきて、悪いと思いつつも聞き入ってしまったりする。ごめんなさい。だって狭いんだもん。


そのカフェには昼にも夜にも行ったことがあって、オクラは昼夜問わずプレートディッシュなら付いてくる。ビーフだろうとチキンだろうと。まず、噛んだ時の食感が、これがオクラ!?というくらい柔らかい。こんなにオクラって、柔らかくできるんだろうか…と思ってしまうくらい。私は元々オクラが好きでよくこの時期は食べるんだけどこんなに柔らかく煮ることができたことはない。オクラがほぐれる、ってすごい。ふにゃん、ってしてるの、すごくない?フォークで刺せない。一緒に乗っかってるマヨネーズに合わせて食べる人が多いんだろうけど、私は頼んだご飯のソースに絡めて食べるのが好き。中身が出ちゃうくらい柔らかくてほろほろのオクラが口で溶けるのが好き……作ってる人教えてほしい。あと何で年中オクラが出てくるの?プランター栽培でもしてるのかな…(余談ですが私は茹でたオクラを鰹節と梅干しで和えるのが好きでよく作ります。おいしいよ!しゃきしゃきしたほうがいいならあんまり長い時間茹でないほうがよい)

 


私が頼んだランチのお肉1枚と友達のオクラを交換して欲しいって頼んだら、え?なんでオクラ?みたいな顔されたけど私にとってこの店のオクラはお肉に値する。ねばねばもほどよくて不快じゃない…1日10本くらい食べたいんだけど本当にレシピを教えてほしい。でもそういうのって自分で作らないところに意味があるんだろうね。

 

 

また食べに行きたいな。私はもはやそこのお店にご飯を食べに行くというよりオクラを食べに行ってる感覚に近い。


それでは!

 

 

 

 

あなたのために書きたい

タイトルは、生田絵梨花ソロ曲「あなたのために弾きたい」のオマージュです。

 

 

初めて誰かの手を繋いだ日のこと、覚えていますか?私は残念ながら覚えていない。幼稚園の帰りに母親とかもしれないし、もしかしたら友達の誰かかもしれない。そういう過去の記憶があることは幸福なことだと思う。思い出しながら未来を歩いていけるからね。でも反対に、私はないことも幸福だと思うよ。こうだったかもしれない、ああだったかもしれないって想像することも幸福に値すると思う。知らないことがいいことだってたくさんあるわけで、人の数だけ幸福があるわけで。少しでもそうやっていいことが積み重なるといいな。って思いながら日々生活してる。最近あまりにも暑すぎてばてそうだけれども。

 

 

書き方的にはあまりよくない表現かもしれないけど、最近はあと余命が1年だったら、って体で生きてる。やりたいなって思っていたことをついつい後回しにして、いざ勇気を出してやってみたらそれは意外と簡単なことで、もっと早くにやっておいたらよかったのではとなるパターンにあまりにも嫌気がさしたので、ね。買いたいものは買ってるし聞きたいものは聞いてるし行きたいところには行ってる書きたいことは書いてる。好きな色の洋服着たりリップ付けたりバーに行ったり。すぐ死んでもいいように。後悔だらけの人生だけど、やり残したことの数は少ない方がいいかな、とか考えちゃうから。

 

 

お友達のブログに、他人のブログを自分の為に書いてくれている文章だと思って読んでる、というような内容が書いてあって、読み手の受け取り方の形は人それぞれだよねと思った、からいくえりのソロ曲をパロディして今回はタイトルをつけてみたよ。私はきっとあなたのために書いてるし、知らない誰かのためにも書いてる。受け取ってくれたらいいな、読んだらポイしていいし。私の自己満足を誰かが覗いてくれたら、少しだけうれしいな。いや、少しだけじゃないかも。すごくうれしい!

 

乃木坂のライブに応募した。推しと同じ空気が吸いたい。当たるといいな。

 

それでは!

 

 

 

 

わたしなりの降谷零入門

今年のコナンの映画を見て、降谷零をもっと知りたい!と思った方向けの、あくまで

わたしなりの降谷零入門です。

大好きなお友達にお勧め回があるなら教えて欲しい!と言われたので張り切りました!暫くツイッターは鍵かけているけど、せっかく纏めるのならいろいろな方に見て頂きたいのでブログとして残します。気を付けてはいますが、話数や巻数などに間違い等ございましたらお手数ですがご指摘お願い致します。

 

 

まずは、これは見ておいてほしい、というものから。

補足は後述で書き足します。

安室透の登場回はすべて見て欲しいけど、これだけは!というものだけここでは取り上げます。時間があったら是非全部見てみてくださいね。

 

667話~668話 ウエディングイブ(前後編)原作75巻

安室透としての初登場回。ああっ暴力は...(お前が言うか)

 

671~674話 探偵たちの夜想曲シリーズ 原作76巻

毛利小五郎の事件に同伴。 RX-7のドアが半壊。 巧みな話術で探偵事務所PCのパスワードを入手。(のちにハッキング)

 

699~700話 灰原の秘密に迫る影(前後編)原作77巻

上の事件時に手に入れたパスワードでハッキングし探偵事務所に届いていたメールを確認するも、沖矢にそれをハッキングされているというWハッキング状態に陥る。 セキュリティガバガバでこの事務所心配...

 

701~704話 漆黒の特急シリーズ 原作78巻

バーボン初登場回 灰原を死なせないために特別ゲスト入りでなんやかんやします。

火傷赤井(後述)=安室透 判明回(今回はベルモットだけど)

1話目に安室はいないけど見ておいてね。

 

705・706話 密室にいるコナン 謎解きするバーボン 原作78巻

安室透=バーボン しかし降谷零とはばれていない状態で物語は進んでいくので、コナンくんの必死で焦った顔がポイント。 冒頭の灰原も可愛い。

 

734話 ジョディの追憶とお花見の罠 原作80・81巻

火傷赤井についての説明回。

 

770~771話 ギスギスしたお茶会(前後編) 原作84巻

昔のあだ名がゼロ、エレーナとの回想など、降谷零に関する過去の話がちらほら。

緋色シリーズにそのまま続く。

 

779~783話 緋色シリーズ 原作84・85巻

赤井秀一の死(後述)の伏線が綺麗に回収される回。

降谷零初登場回 スコッチというコードネームの男がいたこともここで判明。

途中ある、コナンくんに対しての安室の台詞の「僕のことを少々誤解しているようだ...」は、ベルモットに盗聴器を付けられているため、本当のことが言えない安室が発した嘘ですが、アニメだと盗聴器の下りがカットされているので少し??となるかもしれない。

頭に入れておいたほうがスムーズに見れるかも...??

バーボンがベルモットの秘密を握っていることも判明。

 

流れがありますのでギスギスしたお茶会からそのままご覧ください。

 

 

836~837話 仲の悪いガールズバンド(前後編)原作88・89巻

世良と安室が昔会っていたことが判明。 スコッチが公安の人間だということも判明。

スコッチは赤井に殺された人間だということも...

 

866~867話 裏切りのステージ(前後編)原作90巻

赤井に殺されたスコッチの本当の死因が判明。 真相を安室は知らないまま...

 

898話 ケーキが溶けた! 原作無し(アニオリ)

執行される前にはぜひ!ここ数年では珍しい直球の導入。 コナンくんと安室の考え方の違いに注目してみると楽しいかも?

 

補足の後述

 

火傷赤井

赤井が死んだことに疑問を持った安室が変装して、本当に死んでいたか確かめていた。

アニメ563・564・579・580・581・675話 原作65・67・76巻に登場

 

赤井秀一の死

495~504話 赤と黒のクラッシュシリーズ 原作57~59巻

赤井が死ぬまでの流れ。真相や種明かしは緋色シリーズで。

 

少し話はそれますが、ベルモットが度々バーボンに対して発言する「私との約束」

は、コナン(新一)と蘭に危害を加えないこと。

なぜベルモットはコナンと蘭を守るのかは、

286~288話 工藤新一NYの事件 原作34~35巻 をどうぞ。

通り魔=ベルモット、は345話 黒の組織と真っ向勝負 満月の夜の二元ミステリー 原作42巻 にて判明。

ベルモットシェリー(灰原)を恨んでいるのに、幼児化したことを上へ伝えないのはコナンと蘭を危険にさらさないため。(幼児化したと伝えると、灰原の近くにいたコナンや蘭は真っ先に疑われてしまう)

 

 

参考資料 安室透/バーボン/降谷零 シークレットアーカイブスplus ~劇場版「ゼロの執行人」ガイド~

 

 

また書き足すかもしれないです。とりあえず今日はこの辺で。

楽しいコナンライフを!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手探りでもちゃんと生きていけるから

温かいご飯とお布団。安心する食べ物に寝床に居場所。人間にとって本当に大切なものはこれなんじゃないかって時々思う。生きることの資本であり根源であること。睡眠と食事と居場所。どうかわたしの好きな人たちが今日も美味しいものを食べて安心して眠れますように。わたしは日々願っている。


中学生の時に男女間トラブルで色々あり、最後の1年は半ば心を壊したように生きていた。自分は普通だと言い聞かせながら先延ばし先延ばしにしてきた、救わなくてはいけない大事な心の中心部が壊れていることに気がついたのは高校生になってからだった。何もしていないのに存在を否定されることに怯えて、笑い声はみんな自分を笑っているように聞こえて仕方なかった。友達はいつも心なしか元気のないご飯もあまり食べないわたしのことをすごく心配してくれたけど、相談事をするのにはあまりにも知り合ってからの期間が短すぎた。それでも騙し騙しやってきて、ある日ぱちん、とついに心が壊れてしまった。気がつけば泣いてうまくまっすぐ人の顔が見られない。どうしたらいいのか分からなくて保健室の革張りのソファーでひたすら泣いていた。病院に行くけど一時の気の迷いだとか教室に行けているだけいいとか言われ、薬ももらえなかった。何とかネットの検索を駆使して自分の症状と当てはまる病名を探し出したとき、ああ、やっぱりわたしは普通じゃなかったんだ、って認めることができて少しだけほっとしてやっと息が吐けた。自分を客観的に見つめ直すことの難しさや、どうしてわたしは頑なに自分を顧みることができなかったんだろうってたくさんたくさん考えた。正解はないし答えなんてなくていいんだけど、きっと「普通から外れる」ことが嫌だったんだと思う。まっすぐに真っ当に生きている人の目を見て、ざくざくと刺さる視線から目を逸らしたかったんだと思う。もっと清潔に清純に知らなくてもいいことは知らずに甘やかな世界で生きていたい。新しい自己嫌悪に巻かれて今度こそだめかもしれない、って立ち止まってしまった私を救ってくれたのが、白石麻衣ちゃんだった。


前のブログにも書いたけど、私が乃木坂を好きになったのがたぶん6th ガールズルールの期間中。2013年夏。第一印象は、この子、可愛い だった。この辺の記憶は私が忘れたいが為に曖昧なんだけど、恐らくわたしが乃木坂を好きになったのはこの頃。この子みたいになりたい、どうしたらなれるんだろう、って思って雑誌を買ったりブログを読んだりしてメイクや髪型を真似した。今までの自己嫌悪の気持ちがきっと、白石麻衣ちゃんになりたいという方向にシフトしたんだと思われる。まあいっか、このままで って初めて思えた。
わたしは白石麻衣ちゃんが好きすぎて同じ前髪を作ったんだけど、それは今では謎の自信となってわたしの中に残ってる。謎の自信。まいやんと同じ前髪だから!っていう謎の自信として。好きな人とお揃いだという勝手な自信は、今でもわたしの中に少しずつ積み重なってわたしの軸となって残り続けている。わたし、今でも初対面の人に好きな小説言えない。何それ知らないって言われるのが怖くて。でもやっと、好きな歌手誰?って聞かれて、乃木坂!って言えるようになったよ。白石麻衣ちゃんがわたしを暗くて狭くて薄ぼんやりした光しかなかった場所から引きずり出してくれて、わたしに生きるための自信をくれた。もうそれだけで白石麻衣ちゃんはわたしにとって最高のアイドルだし、一生愛してやまない人。いつか、本人を目の前にして言えたらいいな。でも、泣いちゃうかも。女優だってモデルだっていくらでもできただろうに、アイドルをしてくれてありがとう。そんな思いでわたしは白石麻衣ちゃんを見つめてる。


最初に書いた、温かいご飯とお布団。安心する食べ物に寝床に居場所。わたしが大切にしているものたちを、大好きなアイドルたちもできているのかな、できていたらいいなっていつも考える。5thバースデーライブ 橋本奈々未卒業コンサートが出たとき、真っ先に思ったのは、この売り上げ、ちゃんと橋本奈々未ちゃんに行くのかな、ということだった。邪な考えではなくて、1番彼女が頑張ったであろうコンサートの売り上げはちゃんと本人に届くのか、ということ。ななみん、これでおいしいもの食べたりできるのかな、ということだった。華やかな衣装に身を包んで歌を歌ったり、絵画のようなセットでの雑誌のモデル姿も勿論見たいし大好きなのだけど、1番はやっぱり、ちゃんと美味しいものを食べて安心できる場所で眠ってほしい、ということを願ってしまう。少しでも叶うといいな、という願いを込めて雑誌やCDをできる範囲で買っている。笑っていてほしい。幸せでいてほしい。私を幸せにしてくれてありがとう。罪滅ぼしと言うと聞こえが悪いけれど、代償と言うと違う気がするけれど。彼女たちを私が応援するのにはそのような意味も含まれてはいるけれど、1番はやっぱり幸せになってほしいと言う一心から。


白石麻衣ちゃんは私を引きずり出してくれた人で、星野みなみちゃんは私の憧れ。星野みなみちゃんから今のネットネームもお借りしています。最近写真集を発売してよに名前が出たので少し寂しくも頑張れ、って思っています。いっぱい売れるといいな。それでみなみちゃんが幸せなこといっぱいできたらいい。たまにブログ更新して近況知らせてくれたらいいや。本当に本当に、これしか言っていないけど、美味しいもの食べてよく寝て幸せになってほしいな。アイドルに限らず、わたしの大切な人たちには。頑張ることも大切だけど、休むことも大切だよ。充電しながら頑張ろうね。大丈夫。根拠のない大丈夫は、人生において大事だから。だからわたしはいつまでも言い続けます。大丈夫!一緒に幸せになろうね。大丈夫。大好きだよ。

コナンのアバンの話

※ゼロの執行人の話をしていますけれど、ネタバレはしていません。

 

私は昔からコナンのアバンが大好き。TVアニメのも好きだし、劇場版(俺は高校生探偵、工藤新一〜真実はいつも一つ まで)なら尚更。あのアバンがないとコナンの映画が始まった!って感じがしないし、うまく映画に入りきらない。本編目当てでいっているのは勿論のことだが、私は神経の3割くらいをアバンに注いでしまっている、多分。初めて耳にする劇場版のメインテーマを聴きながら、大きなスクリーンで映画ごとに演出の変わったアバンを眺めている瞬間は毎年鼓動が高鳴って緊張するけれど堪らない。耳から目から吸収して、毎年覚えようと必死になって見るんだけど、見とれてしまってそちらに気を取られてしまう。自宅のテレビで見るアバンもいいけど、やっぱり端から端まで眺めなければいけない大きなスクリーンで大音量のメインテーマを堪能しながら見るのがいいんだと思う。コナンのメインテーマは毎年同じようで違うから、すごく楽しみ。なんだかんだサントラ買って聴いちゃうし、些細な違いを見つけるのも好き。キッドがいる劇場版のメインテーマは少し気障っぽく華やかだし、から紅は少し和風 純黒はギターがふんだんに使用されているし今年はピコピコしてるし。来年はどうなるかな、ってそれもまた楽しみの一つ。

そして、アバンのKeepoutのスタッフロールもまた好き。俺は高校生探偵、工藤新一〜真実はいつも一つまでの流れも、原作を加工した形になっていたり昔の映像だったり。あの短い導入だけでコナンをあまり知らない人たちをコナンの世界に引き込めるのは本当にすごいと思うし頭が上がらない。コナンのアバンを一番最初に見たときのこと、全然覚えていないけどまた真っ新な頭で見てみたいなと思うことはたまにある。どんな感情を覚えて、どこに引き込まれるんだろう。

 

 

 

私は予告を見ないので劇場版の中のワンシーンやメインテーマなんかは劇場で初対面になるわけですが、今年は3月に文ストDAを見に言った際にコナンの予告を見ていたのでそれまた例年とは違う感じで新鮮だった。予告流れている最中に耳と目を塞ぐ訳にもいかないし、いや、じゃあ見ちゃえと。先入観を持たないままありのままで劇場版を自分の中に吸収したいといえば聞こえはいいけど、予告詐欺の映像に惑わされたり、なかったことで落胆したくないだけだから…(コナンは特に毎年1カットは予告だけにしかないものがあるので、予告は見た後に見て間違え探しをしています)

予告というのは公式がここは見ておいて欲しいというカットの集まりだと思っているので、見逃したくないと感じている方は見ることをオススメする。まあ、これは私なりの楽しみ方ということで!

 

毎年アバンとEDはカットすることがお決まりの某ロードショーで今年はアバンをカットしなかったことが私の中で話題となり、ぎゃー!カットじゃない!と叫んでしまったけど、本編が異例のカット祭りでEDの扱いが雑すぎて計5回くらい見たはずなのに、あれ?もう終わった?と思ってしまったのでロードショー初見の方は是非とも円盤視聴をお勧めするよ。そしてよければ最新作も是非。私が降谷零を好きだということを差し引いても推理モノとして無茶苦茶面白いしアバンもサイコーなので…!すっかり降谷零の女になってしまった。よろしくお願いします。

 

 

 

千石撫子の片思い理論

千石撫子の片思い理論

 

    今から述べるのは、私が思うこの世で1番綺麗な片思いの形のお話です。
自分用のメモな部分を多く含みます。
説明が拙かったり、分かりにくかったりしたらごめんなさい。

 

   「片思いをずっと続けられたら--それは両思いよりも幸せだと思わない?」(恋物語 より)

「かなわなければ このこいは えいえんに
さめることもないの」(もうそう♡えくすぷれす より)

 

   この台詞は、千石撫子が作中で発したものです。(もうそう♡えくすぷれすはキャラクターソング)

 

   初めてこの台詞を聞いた時、殴られたような感覚がしたことを今でも覚えています。

片思いとは一般的に、一方的で成就していない恋のことを指します。
片思いは切ない、哀しい、成就させたい。
そのような思いを抱く人が多いと思います。
私もそうでした。
だからこそ、この台詞は私の中にいつまでも
残り続けました。
片思いを続けるということは、叶わない恋を
続けるということ。
ゴールが両思いなら、片思いは過程でしかなく辛いもの。
しかし、覚めることもない 叶わないけれど終わりもない 無理して終わらせるよりも、片思いを続けることが両思いよりも幸せなことだとしたら?

 

   両思いになって思いが通じて、幸せの形を手に入れたとしても、幸せになるとは限らない。

だったら、片思いを続けて、幻想を抱き続けて、叶わないけれど終わりもない 心の中で自分の好きなように相手を操ることができる形のほうが幸せなのではないか。それが相手に届かなくても、ゴールがないのだから。終わりを決めるのは自分なのだから。正解がなくいつまでも恋をし続けることができるのだから。

 

   千石撫子自身にも好きな人がいて、叶わない恋を終わらせないやり方でいつまでも続けています。この台詞は、千石撫子の心を表しており、同時に彼女の軸となる部分も表しています。

 

   いつまでも恋を続ける方法。終わりのない恋のやり方。そのような意味で、私はこの千石撫子の述べる片思い論がこの世で1番綺麗な片思いの形だと思っています。
千石撫子は現実世界にはいません。
排他的で無機質なこのやり方を現実世界で通そうとすることはきっととても難しい。
実際に片思いをしてみると、期間が長ければ長いほど現実と空想の溝が深くなりその先の何か変化のある未来を求めようとします。
あわよくば幸せに近づこうと足掻きます。
(私自身そうしようとしたし、千石撫子もそうして彼女自身どんどん壊れていくのですが、この話は今回割愛したいと思います)

 

   だから、「もし貫けるとしたら」この世で1番綺麗な片思いのやり方はこれだと私は思います。立ち止まらずに進んでいく人が多い中、立ち止まってみる景色から見る新しい、終わらない恋愛のやり方。まあ、実現できるとしたら、なんですけれどね。

 

   長々とお読みくださりありがとうございました。それではまたどこかで、お会いしましょう。