はつこい文庫

ゆるいブログです

ぶつかって落ちる

荷造りをしていたのは、少しだけ肌寒い春の夜のことだった。

 

 

 

わたしとその子は昔からとびきり仲が良かったわけではなく、かと言って特別ななにかが起こったわけでもなく、なんだか知らぬ間にわたしの中のだいじなだいじな部分になってくれた子だった。似てないし、多分互いの大事な部分に触れたくないって互いが思っている。人には同じだからわかる部分と、同じだからわかることのできない部分があって、その子はわたしのわかることのできない部分を大切にいつもしてくれようとするのだ。わたしの大事な部分を、本質を、理解しようとはしない。どんなに近づいたとてわたしの心の奥にある柔らかい部分には誰一人触れることなんてできなくて、でもちょっとだけ理解する努力を見せてくれて、そばに寄り添ってくれるぬくもりを何も言わずに与えてくれた。だからわたしも、その子の大事な部分には触れずに、ちょっとだけ理解を深めてそばにそっとしゃがむくらいの気持ちでいる。

 

 

 

アイドルになりたいわたし。本当は世界なんて大嫌いで強い言葉で殴りたいわたし。かわいい自撮りを撮った後は見せたいわたし。アイドルみたいだねって言われたらうれしいわたし。自分のなかにある言葉を紡いで、誰かが喜んでくれたらうれしいわたし。自分のこと名前で呼びたいわたし。すきな歌すきなだけ目一杯うたいたいわたし。すきなキャラクターと結婚してるわたし。みんなみんなインターネットの世界に住んでいる。

 

 

 

いっそのこと、全部打ち明けられたらいいのに。一緒に過ごしていて、何度も思った。なりたいわたしがたくさんいて、現実世界で押し殺しながら、ちょっとずつ見せたり見せられなかったりしながら生きている。現実世界にシャッターを閉めて、インターネットで生きているわたしのスイッチを入れて、仮想の世界を愛して生きている。仮想の世界のわたしは何度も生き返ったり死んだりできるから、今までもたくさんのわたしが死んできた。生きていないけど、もう会えないけど、ちいさなわたしは今でもわたしの心のどこかにふわふわと浮いている。打ち明けられたらいいのにね。自分で言っておいてなんだけど、多分無理だよ。絶対無理なの。ばれたら恥ずかしいとか、生きていけないとか、そういう羞恥の問題じゃなくって、そもそもわたしの心のバランスは仮想と現実を融合するようにできていなくて、ふたつのバランスを保つためにもやっぱりシャッターは必要で、それは巡り巡って将来自分のためにもなるのだった。わたしは、こういう生き方をしなくちゃ生きていけない側の人間だ。

 

 

 

その日はやっぱりなにかがおかしくて、その子に向かって、ごめん、ごめんねって言いながら泣いてしまって、その子がみなみちゃんは何も悪いことなんかしてないよ、って言ってくれる言葉が跳ね返ってつき刺さってただただ痛かった。わたしたちは、きっととびきりの親友になんかなれなくて、わたしも全てを見せられないし、貴方も多分わたしに全てなんて見せてくれないだろうし、わたしにその権利なんてない。それでもわたしはあなたの優しいところ、変に人の心を踏みつけていかないところ、わたしに対して傷つける言葉を発しないところ、そのほか色々なところを愛していて、貴方もわたしのどこかを愛してくれているのが節々から伝わるので、それはそれでいいんじゃないかな、なんて思わせてくれる。きっとずっといつまでも、一番の友達だね、みたいな振りをしながら友達を続けていくのだと思う。

 

 

 

もっと、軽い気持ちで何も考えないで話を読んだり書いたりできる人間に生まれたかった。ありがたいことに綺麗な文章だと言ってもらえることが多いんだけれどわたしはずっと自分の文章は上澄みだけすくっているのだから綺麗なんだと思い込んでいて、実際そう言われたこともあって、最近は色々考えている。結構心を削りながら書いているんだけどなあ、とか。確かに綺麗に掬える部分だけを掬っているのだとしても、そこに至るまでどろどろとした感情を煮込む時間というのはやっぱり必要で、わたしは自分の物語や文章の書き方的に知り得る情報をきちんと知らないと書けない人間だからアニメや原作のあるものは見たり読まないと書けないし、真髄というものを全ては理解できなくとも自分のなかに落とし込む作業というものがどうしても必要で、そこに割く時間がきっと他人よりも多くないといけない人間だから新しいコンテンツなんかはすごく疲れちゃうんですね。ぶっちゃけ。全部知らないことだらけだし。それでも色々自分なりに考えたことを落とし込んで、ねりねりしていく最中生まれたものをうまいこと掬ってわたしの書く話は生まれていくわけですが、そうなると多少なりというか結構書く側は疲れたりするので最終的に生まれたものが綺麗だとしてもそこに至るまではしんどかったりするのですよ。最初の話に戻るけれど。だから最初はわたしも都合のいいことばかり書き連ねているから綺麗なのかなあとか思っていたけれど、書いている側は意外としんどかったりするので一概にそう思わないで欲しいなあ、と思ってしまう今日この頃です。もっと、ささっと話を読んでさっくり話を量産したりアニメ見ないで雰囲気だけで書ける側の人間になりたかったなー楽だろうなーとか思うけど、多分そのやり方じゃわたしの今の話は生まれなくて、そうやったら楽かもしれないけど恐らくわたしは納得しないのだろうなあ。ちっとも。原作にもコンテンツにも作品にも出来る限り誠意を持っていたい人間として。結局は苦しんで生み出したものを愛していて、それが認めてもらえるなら、というか、送り出してもよしと自分で認めた話たちが誰かに受け取ってもらえたら上澄みと言われようがもういいかなあ。黒い部分を何とか白く見せるのが書き方的に得意なんだということにしておきましょう。

 

 

 

生きるのは難しいし、うまく生きる方法なんてわからない。わたしの大事な誰かが死んでも世界は変わらないけれど、わたしの中の世界はちょっとずつおかしくなって、なんとか世の中と歩幅を合わせようとふらふらさまよいながら平気なふりして、甘いアイスがうまく食べられなくなって、しまいには地面に落としちゃって、さむいね、なんて言っちゃったりする。味なんかわからないくせに、おいしいねって笑ったりする。こびりついたアイスなんてどうでもいいから早く帰りたいのに、帰り道がわからなくて途方に暮れて。そんな世の中に慣れるくらいならわたしは大人になんてなりたくなかった。何が正しいのかわからない。人が死んだら、悲しいときには、どんな顔したらいいんだろう。部屋でひとりで心を落ち着けるために音楽を聞いていたら非常識だなんて言われるのかな。彼女がいなくなった世界でうすぼんやり生きてる。君は毎年命日に連絡をくれるね。多分そんなところもずっとすきだと思う。君からしたら大したことないことだったとしても。わたしが彼女のこと覚えてないと世の中から彼女が消えちゃいそうな気がして、でも彼女との思い出はわたししか持ってないから何が正しいのかほんとにわかんなくなって。そんな世の中にあぶれたわたしがちょっとだけでも役に立てるなら、インターネットも悪くないなー、なんて。思いながらゆらりゆらり。ぬいぐるみがベッドから落ちた音で目が覚める。