はつこい文庫

ゆるいブログです

さゆりちゃん

さゆりちゃんはかわいい。さゆりちゃんは綺麗だ。さゆりちゃんはいつも茶色い毛先のくるくるとした髪をなびかせて窓際の席に座っている。長い髪をそこそこの長さにまで切ったさゆりちゃんは、それでも相変わらずかわいかった。さゆりちゃんは笑顔がかわいい。さゆりちゃんは肌が白い。さゆりちゃんはスタイルがいい。さゆりちゃんはいつもいい匂いがする。さゆりちゃんは明るい。さゆりちゃんは人気者だ。僕はさゆりちゃんのことを嫌いにはなれない。

 


さゆりちゃんは気まぐれに氷に晒されて硬くなったタピオカをストローで突いていた。田舎じゃないけど都会でもない街を僕たちは歩いている。なんの評判もないただの喫茶店のタピオカを吸いながら僕たちは歩く。さゆりちゃんは僕よりも何歩か先を歩く。白く眩しい脚に紺色の靴下。セーラー服はさゆりちゃんによく似合っていた。振り返ってにこりと笑うさゆりちゃんは片手で空になったプラスチックの容器を持ちながら僕に微笑みかける。その辺のゴミ箱に容器をそっと捨てる。音を立ててプラスチックが落ちていく。僕はまだ飲み切っていないけど一緒にそれをゴミ箱へと捨てた。

 


さゆりちゃんはピアノが得意だった。なめらかな指づかいで奏でられるメロディは美しかった。鍵盤の上で踊る揃えられた爪が照明に反射して光る。さゆりちゃんはなんでもそつなくこなす。さゆりちゃんにあまり苦手な人はいない。さゆりちゃんは音楽室の扉を開けて声をかけた子にとびっきり微笑んで見せた。来てくれたの、っていつもよりも二割も三割もかわいらしいトーンで。でもそれを向けられたのは僕ではない。その寂しさと悲しさの混ざる空気の中僕はさゆりちゃんのピアノを聞いている。もうすぐ帰宅時刻を知らせるチャイムが鳴る。

 


数学が得意なさゆりちゃん。実は勉強がとてもできるさゆりちゃん。泣いた顔もかわいいさゆりちゃん。身長が意外と高いさゆりちゃん。でもそれをいやだとは思っていないさゆりちゃん。保健室より太陽の下が似合うさゆりちゃん。真顔も綺麗なさゆりちゃん。大勢の中心が似合うさゆりちゃん。僕の大好きな子の大好きな子の名前、さゆりちゃん。

 


嫌いになれない女の子さゆりちゃん。僕はさゆりちゃんのことを好きではない。嫌いになったり好きになりかけたりしながらさゆりちゃんを見ている。僕の好きな子の好きな子さゆりちゃん。さゆりちゃんがかわいくなるたび、君がさゆりちゃんを褒めるたび僕はさゆりちゃんのことが嫌いになる。僕が同じことをしてもさゆりちゃんと同じにはなれず、君もさゆりちゃんと僕を同じには扱わないだろう。でもさゆりちゃんはそんな僕に御構い無しに連れ出して道端でタピオカを飲んだりするのだ。触れた手のさらさらした感触、君と僕の扱いが違わないさゆりちゃんに救われたり突き放されたりしている。本当はさゆりちゃんを好きになりたいのだろうか。さゆりちゃんは街中にいてもすぐにわかる。髪型を変えてもすぐにわかる。さゆりちゃんはさゆりちゃんだからだ。僕は、君が髪型を変えたらわからないかもしれない。少し、ぞっとした。

 


さゆりちゃんは、吹奏楽部の演奏をみながら混ざりたいなあ、とぽつり漏らした。辞めなかったらよかったのに。君が小さな声が返す。そうだねえ。さゆりちゃんは君の目を見ない。君はさゆりちゃんにぎゅっと抱きついてしばらく俯いていた。パイプ椅子に腰かけた二人だけの世界。冷たいフローリング越しの場違い。僕は音楽室を出た。さゆりちゃんは追いかけてこない。

 


特別な何かになりたくて、さゆりちゃんは特別だと思い込んでいたのかもしれない。ああ、でも僕にとってさゆりちゃんは特別かもしれない。君に選ばれたって意味での特別。

 


ひらがな三文字さゆりちゃん。字が綺麗なさゆりちゃん。君が甘い声で呼ぶ、さゆりちゃん。はあい、って返事するさゆりちゃん。高校を卒業しても、さゆりちゃんはさゆりちゃんでいてくれるのだろうか。永遠なんてないけれど、さゆりちゃんはいつまでもさゆりちゃんでいてくれる気がする。今日、さゆりちゃんのことを少し好きになりかけた。明日はさゆりちゃんのことを嫌いになるかもしれない。どっちつかず、僕のなかで宙に浮いてるさゆりちゃん。ねえさゆりちゃん、さゆりちゃんはさゆりちゃん以上になることってあるのかな。

 


わたしはわたし、ってさゆりちゃんの口元が動いた気がした。明日もさゆりちゃんに会う。明後日もさゆりちゃんに会う。SNSをしてないさゆりちゃんを、君のアカウント越しに見る。なにをしても楽しそうなさゆりちゃん。僕の前で急に泣いたことのあるさゆりちゃん。小さい頃ステージに憧れたさゆりちゃん。僕の手の届かない女の子、さゆりちゃん。

 


君の視線は今日もさゆりちゃんに注がれている。赤色の新しいポーチはさゆりちゃんによく似合っていた。君の持ち物がいつ新しくなったかなんて、僕は知らないまま教室にいる。